少林寺拳法とは

少林寺拳法は“人づくりの行”

 

少林寺拳法は1947年、日本において宗道臣が創始した“人づくりの行”です。
自分の身体と心を養いながら、他人とともに援け合い、幸せに生きることを説く「教え」と、自身の成長を実感し、パートナーとともに上達を楽しむ「技法」、そして、その教えと技法を遊離させず、相乗的なスパイラルとして機能させる「教育システム」が一体となっています。
人間は生まれながらに、どのようにも成長してゆける可能性を秘めています。少林寺拳法は、その可能性を信じて自分を高め続けられる人、周囲の人々と協力して物心両面にわたって豊かな社会を築くために行動できる人を育てています。

 

本当の強さとは

「本当の強さ」を育てる少林寺拳法の修行

いくら困っている人を助けたいと思っても、自分が弱ければその人を助けることはできません。強くなるためには体を鍛えると共に、どんな困難にもひるまずくじけない、不撓不屈の精神を養う必要があります。「本当の強さ」とは、よりどころとなる自分をつくることです。少林寺拳法は修行によって、この「本当の強さ」を目指します。

 

拳の技術はあくまでも手段

少林寺拳法の修行は身心ともに健全でたくましい人間になることを目指します。それを忘れ、ひたすら技のうまさや腕力の強さを競ったり、相手を倒すことだけに熱中したりすることがあってはなりません。相手を倒すことだけが目的なら、無手の格闘技など必要ありません。武器など道具を使うほうが手っ取り早いのです。少林寺拳法の技術を修得することにより、素手であっても自分の身を護れるという自信を持つことです。

 

負けたと思わない限り負けではない

たとえ相手の力に一時的に負けたとしても、生きている限り、それは負けたと思わなければ、本当の「負け」ではないのです。生きていく中では失敗することもあります。しかし、人の価値は失敗したかどうかではなく、その失敗から起きあがれるかどうかによって決まります。自分はダメな人間だと思った時、本当に負けてしまうのです。自分の人生を力強く生き抜きために、うぬぼれではない「自信」をつけることが大切なのです。

 

いつでも自分をよりどころにできる・・・「己れこそ己れのよるべ」

誰もが、自分のかけがえのない人生を大切にしたいと考えています。自分を大切にするということは、自分の責任で、いやなことはいや、悪いことは悪い、とはっきり言える勇気とそれを正す力を持つことであり、主体性を持ち、自分の可能性を信じることなのです。そのためにはうぬぼれでない自信を持つことです。お金では買えない、いかなる権力をもってしても奪うことができない自信と勇気を持ち、よりどころとできる自己を確立することこそ本当の強さなのです。そして、自分だけではなく、周りの人々の幸せを考えて行動するのです。

少林寺拳法の六つの特徴

拳禅一如

「拳」は肉体を、「禅」は精神を意味します。身体と心は別々のものではなく、互いに影響を及ぼす一体のものです。少林寺拳法では、身体と心を、どちらかに偏らせることなく、バランスよく修養します。
 

力愛不二

慈悲心や正義感に溢れていても、力がなければ、誰かの役に立ったり、助けたりすることはできません。また、どれだけ力があっても、誇りや信念がなければ、正しい力の使い方はできません。力と愛、理知と慈悲の調和こそ、少林寺拳法の行動規範です。

守主攻従

少林寺拳法の技法は、不正な暴力から身を守るためにあります。そのため、まず守り、それから反撃する技法体系となっています。また、確かな守りの体勢を築くことで、相手の弱点を冷静に見極め、有効な反撃ができると考えています。
 

不殺活人

少林寺拳法の技法は、誰かを傷つけるためのものではなく、自分や他人を守り、活かすためのものです。少林寺拳法の技法は、人の可能性を実感させ、成長の喜びを味わうために修練されます。
 

剛柔一体

少林寺拳法の技法には、突き・蹴りなどに対し、受け・かわしから当身で反撃する「剛法」と、手首を握る・衣服をつかむなどに対して、抜き・投げ・固めなどで反撃する「柔法」があります。剛法と柔法は、互いの特徴を活かしあい、巧みに組み合わせることによって、効果を倍増させることができます。
 

組手主体

少林寺拳法の修練は、二人一組で行うことを原則とします。これは、相手の行動に適切かつ柔軟に対処できる実戦的な技法を養うためであると同時に、共に協力して上達し、その喜びを分かち合うためです。
 

修行について

ここでは少林寺拳法の修行における8つの心得について解説していきます。

 

1. 修行目的の確立

何のために修行するのか
人は明確な目的がなければ、積極的な行動ができません。まず拳士は修行の目的を明確にすることです。少林寺拳法の修行は、「護身練胆」「精神修養」「健康増進」の「三徳」を兼備したものです。拳士は自己確立の基となる、身心ともに健全でたくましい自己、また、自他共楽に根ざした理想境(社会)の実現という目的に向けて、積極的な行動ができる自己に改革していくよう努力します。ここに修行の意義があるのです。

2. 修行の順序立

何事も学ぶには順序がある
少林寺拳法は技術的要素が多いので、修行を志す者は、技術の修得をおろそかに考えてはいけません。技は初歩から一段一段、階段をあがるように順序だてて学ぶことが必要で、一足飛びに高度な技へ進むことはできません。一つ一つの段階で地道な努力を繰り返すことにより、体に技が定着し、高度な技を修得することができるのです。

3. 基本を学ぶこと

基本は上達の第一歩
少林寺拳法の技法には三法・二十五系・六百数十種の技があります。まずその系列の基本を学び、それに熟達しなければなりません。基本形は、先人の経験を集約し到達したものです。それに熟達すれば一層早く上達することができます。基本技、基本形を無視して乱捕りに熱中しても、無駄が多くて効果はあがりません。理にかなう基本を身につければ、実践でも自然に体が動くようになります。

4. 理を知ること

原理を知ることが上達への早道
少林寺拳法は、系統だった組織と、科学的な原理に基づいて構成されている高度な技術です。これを単に技や手足の動作だけで理解しようとすると、とうていその全貌を知ることができません。技とともにその原理を学び、技法構成の原理を知って修練すれば、上達が一段と早くなります。

5. 数をかけること

人、十度、我、百度
上達しようとするなら、努力と忍耐が必要です。根気と努力のみが、凡人を非凡にする唯一の道です。少林寺拳法は、基本に忠実に、理をよく知って、法形に従って、失敗したことよりうまくいったことを大切にし、数をかけることが上達の第一条件です。

6. 修行を片寄らせないこと

得意な科目のみ集中しない
少林寺拳法は、剛柔一体であり、拳禅一如の修業法です。剛柔の一方に片寄ることなく、また技だけではなく精神面の修養にも努め、技術とともに人格の向上に努めなければなりません。演武や乱捕りばかりに熱中することはあまり好ましくありません。

7. 体力に応じて修行すること

無理なく楽しく修行する
少林寺拳法は養行です。そのため体力差を考えない苦行のような修練はしてはいけません。体力に応じて技を楽しみ、術を楽しみながら修行をすることによって、道場に通うのが楽しみになるような、厳しいながらも楽しい修行の在り方でなければいけません。

8. 永続して行うこと

継続は力なり
少林寺拳法は高度な技術と、広く深い内容を持つ道であるため、コツコツと忍耐強く、永続して修行することに意義があります。休まないように修練を続けないとなかなか会得できないものです。特に初心者は多少の困難や苦しいことがあっても、挫けないように心がけることが大切です。